• 水神社

    水徳の神様である、彌都波能売神(みつ はのめのかみ)、安産の神様である、鵜 葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこ と)の二柱が奉斎されています。

  • 秋葉神社

    秋葉神社は火の神様が一般的ですが、当 宮では農耕・文芸の神である、阿遲鉏高 日子根命(あじすきたかひこねのみこと) が奉斎されています。

  • 肥前狛犬

    水神社の狛犬は、自分の痛いところを撫 でればその痛みがとれるという事で「撫 で狛犬」とも言われ、多くの方々から崇 敬をいただいています。

  • 千代松神社

    水天宮の創始者按察使局伊勢命(あぜち のつぼね いせのみこと)が奉斎されてい ます。
    社名は按察使局伊勢命が後に剃髪して名 を千代と改めたこと、逝去の後墓に松が 植えられたことから、千代松神社と呼ば れています。

  • 高浜虚子の句碑

    高浜虚子が筑後川を眺めながら詠んだ句 が刻まれています。

    「汝も この神の氏子や 小春凪」

  • 眞木和泉守記念館

    明治維新の中心的指導者であり、水天宮 の第22代の宮司でありました眞木和泉守 の遺品遺墨が展示されております。
    なお、記念館拝観を希望されます方は事 前に電話予約されますようお願いいたし ます。

  • 山梔窩(くちなしのや)

    久留米藩改革の際、眞木和泉守が久留米 藩より水田村(現在の筑後市水田)の弟 大鳥居信臣のもとに謹慎を命ぜられ、付 近の子弟の教育にあたり、尊皇・倒幕の 策源地ともなりました。
    この建物は資料により当時のものを模し て建てたもので、実際の建物は県指定文 化財として水田に現存しています。

  • 眞木神社

    眞木和泉守保臣命をはじめ明治維新に際 し国難に殉ぜられた一門及び門下生と、 天王山にて共に自刃された方々を奉斎し てあります。

  • 軍艦千歳慰霊碑

    軍艦千歳とは、昭和13年に就役し、昭和 19年10月25日フィリピンレイテ湾海戦 にて沈没した航空母艦です。筑後川(別名 千歳川)の名をとって命名され、艦内に水 天宮を奉斎していたことから 当宮と縁の 深い軍艦でした。 そんな千歳と共に命を 落とされた方々の御霊を慰めるために、 昭和53年に建立されました。

  • 眞木和泉守の銅像

    初代は大正4年建立も戦時中に供出し、 昭和43年に没後100年を記念して再 建されました。           久留米出身の豊田勝秋作

水天宮で見ることができる椿

御神紋椿の話 ―安徳天皇の恋物語―

 御祭神の安徳天皇は、壇ノ浦の戦で二位の尼に抱かれて入水され、 御年わずか8歳の生涯をお果てになったと国史には記述されております。

 ところが水天宮にはここで崩御なさったのではなく、官女の按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)に守られ、生きて筑後に潜幸遊ばしたという伝承があります。

 筑後の豪族藤原種継は、平家の旧臣で潜幸中の天皇にお仕えしていましたが、その種継に玉江という17になる美人の娘がおりました。玉江は天皇お付の浄厚尼の薦めにより、日夜、天皇のお側に侍り、お仕えする様になります。

 世を忍ぶ御座所は筑後河畔、鷺野原の千寿院という寺院で、その境内に清水の井桁に寄り添う美しい椿の花が咲いており、清水に映ってとても優雅で気高い風情をただよわせておりました。

 天皇は「椿は八千代を寿ぎ、井桁は契りを宿すとかや」 ~椿の花はいつの世も優しく愛でて映え、井桁はその愛を とこしえに深く育んでゆくと言われているが、いかがなものよ~と、玉江への想いを秘めて仰せられました。浄厚尼も、ならばどうぞ玉椿をお手折りなさり、幾久しく大切になさりませと申し上げて祝福しました。こうして天皇は玉江姫と契られたとのことです。こうして、安徳天皇と玉江姫の恋物語の由縁から、椿の花が御神紋となりました。

 なお、玉江姫はのちの「神子禅師尊栄」と称される皇子をお産みになられたそうですが、この伝説では天皇、27歳で崩ぜられています。玉江姫は禅寿尼と号し、先帝の霊位を丁寧に弔って生涯を終えたとのことです。